世の中には洋服を着回すことを
「貧乏くさい」
「一つのコーデのクオリティーが下がってダサくなる」
そんなふうに言う人がいます。
あなたは服を着回すことをどう思いますか?
貧乏くさいと思う人は
服を着回すことをコスパの面でしか
見ていません。
一つのコーデのクオリティが下がるという人は
単にファッションスキルが足りないんだと
思います。
服を着回すことは私にとって
とても重要なことです。
確かに洋服を着回すことで
洋服代は1/10になりました。
だけどファッションスキルや
センスは格段に上がったと
感じています。
でもそれらは本当に私が
洋服を着回している本来の目的以外
の副産物でしかありません。
私はなぜここまで洋服を一定量にして
着回しを重視した発信をするようになったのか
そのことについて今日はお話をしたいと
思います。
癒えぬ間に降りかかる現実
何度もこのブログでお話をしているように
私は母親を早くに亡くしました。
そしてその12年後父が他界。
その時私は30代半ばでした。
私は両親の死に思ってた何倍も早く
向き合う事になりました。
精神的に安定しない20代
それは私にとって過酷な経験でした。
母親が亡くなった以降
わがままいっぱいで生きてきた私は
泣いても叫んでも
もう取り戻すことが
できない母
その経験もしたことがない厳しい現実に
働くこともできなくなりました。
時間が心を癒やしてくれる以外
自分を取り戻す方法は見つかり
ませんでした。
ようやく働いて結婚・出産をして
父親との生活をイメージしながら
自分の人生を前に進めていた矢先
今度は父。
突然鳴った叔父からの電話。
はっきりとしたことを言わず
父が大変だから帰ってこいという叔父
実家へ帰る道中
叔父のはっきりしないその
話の内容に僅かな望みを掛けて
だけど道中
何度もかかってくる叔父からの
電話の声に
もう父はいないんだと悟りました。
肉親が亡くなると
一生に一度あるかないかの悲しみの中
膨大な事務手続きや相続の決断を
迫られます。
泣いているのに
悲しんでいるのに
業者との打ち合わせ
場所はどうする
お金の話
お墓はどうだ
仏壇は
スピーチは
家族の喪服はどうする
食事はどうする
思考は止まっているのに
頭の中に処理しなければいけない
ことを無理やり詰め込み
決断をしなくてはいけない。
一つ何かが終わると悲しみが襲って
悲しんでいるとまた次の現実問題が
やってきます。
母が亡くなった時には父がいました。
だけど父が亡くなった時には叔父だけが
私達兄弟を導いてくれる唯一の人で
その殆どは自分達でなんとかしなければ
ならない状況になっていました。
私に課せられた最後の大仕事
田舎にある私の実家は自営業をしていた
こともあり、敷地が大きく工場もそこに
ありました。
住まいは5LDKの持ち家
祖父が分け与えた畑などの土地の
整理もありました。
叔父の導きを受けながら次から次にと
出てくる相続の問題が解決したのは
父が亡くなった数年後でした。
自分で法律家を探し
相続の書類を作成し
更に遠くに住む兄や地元に住む親類と
リモートで書類のやり取り
私が兄より実家に近いというだけで
ほとんど私が一人でやることになりました。
それと同時にさらに私を苦しめたのは
実家の整理でした。
中学生の時に両親が
手に入れた家でした。
両親はそこで
私達の子育てに奮闘し
夫婦喧嘩もし
多感な時は派手な親子喧嘩も
しました。
色んな人が出入りして
テラスでバーベキューをしたり
庭に花を植えたり
犬と遊んだり
二人がいた時のことを
思い出すと
いいことも悪いことも含め
実家は生き生きしてました。
母がいなくなったその家は
手入れが行き届かなくなり
少しずつ色あせていきました
だけど私は父が住むその家が
好きでした。
飾り気がなくなって
掃除もままならない実家を
実家に帰る度掃除をして
車に乗り込む私達を
見えなくなるまで見送ってくれる父
また一人の生活に戻る父のことを
思うとまたすぐにここに帰ってこよう
と後ろ髪ひかれながら
私達も自宅へ戻るんです。
その誰もいなくなった実家を
もう私が帰る場所ではない
別の家に変えることが
最後の使命でした。
実家から遠くに暮らす兄は
ほぼなにもできない状況で
それも一人でやることになりました。
福岡から実家までは車で
往復4時間かかります。
当時子供たちは2歳と3歳。
夫は出張や単身赴任が多くて
完全なワンオペ育児でした
元夫の協力で月に1回
帰れるか帰れないか
そんな状況の中子供を連れて
家の中を空っぽにする生活
がはじまりました。
何一つ捨てれないのに自分で終わらせたい
あなたの生まれ育った実家。
今はどうなっていますか?
ご両親が健在の方、そうでない方
色々いらっしゃると思います。
私の実家は母がいなくなった後
母の私物を父が捨てることができず
父がいなくなった時点で
二人の私物がそのままの状態でした。
4人で暮らしをしていた
状態にほぼ近い荷物を仕分けて
処分しなくてはいけません。
業者に任せることは
できませんでした。
両親が触れたもの
思い出があるものを
誰かに代行してもらうことは
私の性格上難しかったんです。
だけど、
いざ私が手を付けようとすると
涙が一つ一つに溢れてきて
捨てることができず
ようやく母がいなくなったことを
受け入れて前を向いたところに
父がいなくなった悲しみが襲って
そしてまた
母がいなくなった寂しさと悲しみが
ぶり返し
実家を空っぽにして
人手に渡すまでの約2年間
実家に行っては捨てれないジレンマと戦い
泣きながら大荷物を処分する生活を
続けました。
服は無価値になるのに一番価値があるように思える
色んなものを捨てました。
二人が建てた家には
母がこだわった家具やインテリア
父が好きだった場所
家電に家具
大きなものからレシートや
小さなネジ一つまで
色んなものを捨てました。
リサイクルできたものも
ありましたが
二人が触れたもの
思い入れがあった物の
殆どはゴミとなりました。
崩壊したメンタルの中
元夫に心身支えてもらいながら
一つ一つ捨てました。
そして私が一番捨てれなかったもの。
途方にくれてしまったものは
二人の服でした。
服って時間が経てば
どんなに高価なものでも
二束三文
ほとんど価値はありません。
なのに、故人の肌に触れていて
クリーニングしてある服を見ていると
なんとか自分が着たり手元に置いて
おけないのか
考えてしまって作業が滞って
しまうんですね。
だけど時代も違うし
体型も好みも違う
父が残した服
母が残した服
一つも使える気がしませんでした。
たとえば貴金属であれば
場所も取らないし、物質的価値があるので
考える必要なんてありません。
ただ服だけはどんなに
愛おしく感じても
自分たちにとって
大きな価値があっても
探しても探しても
とっておく理由が見つからないんです。
服やいつも手にしていたであろうものを
捨てる時二人の分身を捨てる気がして
言葉にはできない心労がありました。
物を持たないことに価値を感じた経験になった
時代が変わり核家族化が
進んだ今
私が体験したようなことは
珍しいことではありません。
残された家族が少ないほど
その負担は大きくなります。
(その数が多ければそれなりの
揉め事は増えますが)
すべてを終えた今
私は二人が身辺整理をして
いなかったことについては
迷惑だったとか、もっとちゃんと
してほしかったとか考えたことは
ありません。
まさか本人たちも
こんなに突然自分の死が
訪れるなんて思ってなかった
でしょうから。
私を強くした人生経験だったと
思っています。
だけど、
備えているか備えてないかでは
雲泥の差です。
他で暮らしている人間にとって
何がどこにあってどうなってるのか
なんてわからないわけです。
土地の権利書がどうだとか
借金や貸付の有無
書類は?
印鑑は?
口座は?
何がなんだかわからないんです。
私の二人の子供たちに
同じ思いをさせて平気かと言われたら
それは別の話です。
子供たちが自分がいなくなった後の
悲しみを抱えながら
様々な問題を乗り越えていく
これは仕方がないことだと思いますが
私を苦しめた服を捨てることに
フォーカスして言えば
ただ、いずれ価値をなくしていく
好きなんだか嫌いなんだかわからず
ただ自分のファッションの迷いで
買い集めた洋服で
子供たちを更に悲しませたくないと
思っています。
気の迷いで買ったただの
プチプラ服でも
子供たちにはそうは
映らないと思います。
特におしゃれ好きな印象がある
お母さんなら特に
残された人は
思いをはせながら
価値を持ってない服でさえも
大切に思って扱おうとします。
更に言うならば、関わる人達は
精神的に疲れています。
意見がちょっと違うだけで
いつもは起こらない揉め事へと
発展してしまいます。
私は物を持たないことの
本当の価値を知ったのは
この経験をしてからでした。
終活意識の若年化
終活って60超えてくらいから
考えたらいいんじゃないの?
そんなまだ50にも満たないのに
早すぎない?
私まだ30代だし
そう思っていますか?
楽天インサイト株式会社が
終活についての調査した結果によると
⇒終活についての調査
20代からその意識が高まり
一番終活に興味を示しているのは
30代という結果になってます。
出産と同時に私も
自分たちがいなくなった後のことを元夫と
沢山話したことをおぼえています。
生命保険
学資保険
新居の検討など
すべて子供たちが生まれてから
前に進めました。
だけどその時点ではまだ
父は生きていましたし
まさか自分にこんな大きな
問題が降りかかるとは
想像もしていなかったんですね。
終活という言葉が世に出てきた昨今
お金を残すことが子供の幸せという
昔ながらの発想から
物や煩雑な手続きを残さないことが
残された人たちへの思いやりという
考え方へ
移行してきたんだなとこの調査結果
を見て思いました。
着回しが私の最後の望みを叶えてくれる
まだ先かもしれない
でもいつやってくるかわからない
自分がいなくなった世界
私が最後に望むことは
子供たちと一緒に暮らしてる
動物の幸せだと思います。
私がいなくなった後
たくさん泣いたら
最小限の事務手続きを乗り越えて
また自分の人生を楽しむ日常に
サクッと戻って欲しいということです。
私は自分の都合で
ファッションが大好きです。
だから服を買うことはこれからも
続いていくんだと思います。
だけどいつも手元に置いておくのは
一軍服で
無駄なものは持っていたくないと
思っています。
服は価値がつきにくく
本人の魂が一番宿っているように
思えてしまうものだから。
私にとって師匠に教えてもらった
着回しという概念は私の理想的な
ファッションのあり方でした。
これが私の人生最後の望みを
実現してくれる大きな価値ある
スキルでした。
着回しがコスパいいとか
ファッションが沢山楽しめるとか
それが本質的なことでは
ありません。
そこにある服の価値を最大限に
楽しめて
クオリティーが高い
コーディネートが作れる
そんな魔法のような
着回しクローゼット
それは自分の子供たちや
家族の未来に繋がっていると
考えているんです。
あなたはあなたがいなくなった時
残された人に何を残したいですか?
私はお金よりも
心穏やかに笑顔でいれるパワーを
残してあげたいと思います。
心穏やかで笑顔の時間は
お金さえも生み出します。
終活って言葉は
なんだかネガティブな
印象を与えます。
自分の人生の終わりを考えながら
生きるなんて心配しすぎじゃないか
そう考えている人もいると思います。
だけど本当はそうでは
ないんですよね。
自分が重く気がかりに思っていることを
解消しながら気持ちを軽くしていく
本人にとっては
すごく前向きな発想なんです。
きれいに軽やかに年を重ねる準備をする
今私が住む家にも不必要な物は
まだまだあります。
私は服から着手しました。
私はセンスがなく
似合うものや似合わせることも
知らなくて
着回しもできない
パンパンなクローゼットをずっと
持ち続けていました。
一番量を抱えがちで
なのに移りゆく流行で
すぐに価値をなくしていくのが
服です。
自分が体験したことを
誰にもさせないために
いつも整ったクローゼットを
持っていたいから。
ファッションの基礎と着回しを勉強
して3年目
やっとスタート地点に立てました。
洋服も増えない。
店頭の買い物はほとんど失敗
しなくなったスキルは
おしゃれになって自信と心地よい時間
が増えたと同時に
人生の気がかりになっていることを
大きく軽くしてくれました。
中年層の女性がクローゼットを
整えておしゃれになることは
第二の人生を身軽で美しく
過ごしていく準備です。
自分だけのことを考えた
幼いクローゼットから
未来を考えた心地よい
服選びとクローゼットづくりへ
最後までこれを読んで頂いたあなたの
大人のクローゼットづくりのきっかけに
なればと思います。
コメント